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2005年04月11日
中島 潔の世界展
京都駅ビル内美術館「えき」で中島潔展をやっていると友達に聞いたので、行ってみた。
やはり素敵な絵を描く人だ。
今日は学校で履修登録があったんだけど、待ち時間が1時間半あったので龍谷大学に侵入をしてみた。
素敵な洋館が立ち並んでいたので、いつか調べてからまた来ようと思った。
その後、図書館に侵入したものの、入り口にはカードによる改札にようなものがあって入れない。
諦めて帰ろうと思ったら、美術館等の案内のチラシがあった。
ふと近づいてみると、そこには優待券なるものが!
200枚くらいタバになってて、生徒に「ご自由にお持ち帰りください」ってことなんだろうけど、あと5日しかないのに200枚も残ってる。
なんだか悲しくなった。
数日前に、友達に行って来た報告とともに存在を知らされたので、学校の友達を誘っていこうと思っていた。
おあつらえ向きに券が手には行ったので、お誘い。
しかし、・・・他の友達と行く約束をしていたようなので、あきらめて一人で見に行った。
到着して、400円の入場料。ほんとうに安い。いいの?ってくらい安い。
中に入って説明を読んでから絵を見る。
1枚、2枚目・・・で釘付けにされた。
『金魚売りの声』
魅了されてしまった。
我に返って、早々と中断してしまった絵の鑑賞を続ける。
いくつかの絵を見て、同じコーナーの絵と『金魚売りの声』との差を感じる。
見てみると、『金魚売りの声』は1979年、35歳の作だった。
周りは20代の作品。
絵を一つ一つ眺めながら、30代の作品を求めて先へ進んだ。
30代のコーナー「光」。
絵を見ていく、最初に見たのは、30代後半の絵。
色鮮やかな中に、寂しさが写る。子供達は一人だった。
絵の写る寂しさに、次第に飲み込まれてしまい、静かな気持ちで絵と対峙していた。
そして、コーナーの切れ目まで戻って反対側を進む。
そこは、30代中盤。『金魚売りの声』が描かれた頃。
再び絵の前で動けなくなった。
『忘れ唄』その絵の中に、先ほどと同じ魅力を感じた。
しばらく30代中盤のコーナーに入り浸り、進んでからも三度戻った。
先へ進む。
40代、風の時代。
画家本人が語るように、39歳は節目の年だった。
『春の夢』『夏の思い出』『風詩』『風の余韻』。
思わず微笑んでしまうような、そんな連作。
その中で異彩を放つ、『夢少女』。
色彩、構成、タッチ。全てが違った。
そして、その絵を過ぎるとまた、風に戻る。
風。
それは直接肌だけで感じるものではない。
風が揺らす木、舞い散る花びら、揺れ落ちる雪、もてあそばれる稲穂、母の髪。
風はいずれやむ。
50代のコーナー『愛』
旅をした風が落ち着いたのは、生まれ故郷だった。
旅の先で見る風景ではなく、懐かしい故郷の地。
描かれる背景のタッチが徐々に変わって行った。
しかし、故郷の絵が増えていくにつれて、40代から見えなくなっていた、絵の中に写る寂しさを再びメにするようになる。
寂しさの先に描かれていたのは、母の背中だった。
全ての寂しさと、悲しさと、喜びと、悔いのつまった。背中。
その側に展示された『初雪』。
またも衝撃が走る。35才の、あの頃の絵が戻っている。この筆使い。この表情。
再び立ち尽くし動けずに居る。
『初雪』同じ名の絵があった。35歳に描かれた絵。
足早に戻った。
母の絵が描かれた1996年。筆に大きな変化が現れる。
『絵日傘』
憂いを秘めた子供たちの周りを囲む、色彩豊かな景色。
それは、今までに無い程に動的な塗りだった。故郷に吹く風。
一面に菜の花の様な黄色い花が咲く『風の色』。
画家その人が、その絵の中には居た。そう感じた。
2000年。
色が変わる。
子供達は何かを見て、何かを探っている。
風は波となり海を渡る。
パリへ向かう画家は、次は何になるのか。
終点
1時間半の旅に出ていたような、そんな時間だった。
アルバイトがあるので、早めに早めにと進んで行ったけれど、それでも時間は過ぎて行った。
出口の販売店で絵を売っている。とても高くて手がでないから画集を見た。
4500円。これなら買えそうだったので、画集とウメ吉のハンカチを買った。
家に帰って見返していると、新しい発見もある。
ほんとうに、考えさせられる展示だった。
この美術館は今後も利用したいなぁ。
次回は。。。ジミー大西。微妙だ。
投稿者 tyoro : 2005年04月11日 04:20